始めはSEの仕事がよくわからず、地味すぎるプログラム改修をやった時、
「こんなことを毎日やらなきゃいけないのか!」
と絶望してから(業界研究が足りないだけ)、
3年ほどで次第に仕事が楽しくなり、
顧客から感謝されるようなり、
業界の書籍も買いあさり、
SEとしてのやりがいなり、誇りのようなものが7年目には完全に感じられていた。
そして同僚にも恵まれ、互いに苦労やドラマを乗り越え、楽しい思い出もたくさんできた。
我ながら20代はかなり充実した期間だった。
そうやって手に入れた、自分のやりがいや同僚達を好んで捨てたい訳がない。
辛いことは仕事そのものもあったが、転職で改善したいことは待遇や将来性に対するものだった。
当時、かなり難しい内容を引き継がなければならない後輩にも申し訳ない気持ちが非常にあったが、
「自分の人生がかかっているんです。仕方ありません」
と大人な対応かつ、非常に納得のいくフォローをもらったものだった。
かたや、最後の有休消化の相談で別な上司と相談をした時は、ありありと自分の退職に対する非難の気持ちが伝わってきた。
有休は残り20日、ほぼほぼ枠一杯に残っていたが、
「残りの日程を考えて10日は取らせてやる。立つ鳥は後を濁さないように。」
そもそも年休って法律で決められた権利で・・・とか抗弁するような気はもはや無かった。
ただただ、退職に対する後ろめたさと、その言葉で自分の決断の正しさが裏付けられた複雑な思いだった。
さて、年明けに上司に伝家の宝刀(退職願い)を切ってから3カ月目、ついに最終日に会社を去る時がきた。
その時、ふと映画プラトーンのラストシーンが頭をよぎった。
(※ベトナム戦争の映画)
ラストシーンで、主人公がケガで戦場から母国へ帰ることが決まり、飛び立つヘリから戦場に残る同僚に少し笑顔で挨拶し、しばらくした後あらゆる感情がこみあげてすすり泣くシーンだ。
「これらの経験をどう伝えていいのか分からない・・・」こんなセリフがあったような気がするが、戦場にも似た8年分の辛すぎることや、戦場には無い楽しすぎたことが一気に頭をよぎって、すすり泣きたい心境だった。
辞める理由なんて、みんな大体似ていてもその環境は千差万別に違いない。
過労死や自殺するくらいブラックなら即日辞めても構わないが、計画的に辞めようとすると、自分の場合はとんでもなくエネルギーと精神力を消耗した。(主に対人面で)
そしてその計画に少しでも甘さがあれば次の転職先でも酷い目にあうことは必至だが、幸い自分は今の職場でクビがつながり続いている。
思えば上手く引継ぎ、仕事の穴を空けすぎず、対人も円満にして職場を去って、次の良い職場を見つけて、またそこの新しい仕事を覚えて溶け込む・・・転職とはなんて難易度が高いのだろう。
(振り返っても偶然に助けられたことが多くある)
以前の記事でオヤジが昔話ばかりしていると散々ディスったくせに、似たような記事を書いてしまった。
ともあれ、多くの転職者に幸あらんことを(´・ω・`)
ただの思い出記事ですが、閲覧いただいて本当にありがとうございました。
クリックして応援いただけると更新のはげみになります。



0 件のコメント:
コメントを投稿